4月10日(火)今日からプログのタイトルを「副院長の奮闘記」にしました。何故って?今までの苦労の?痛快な?回想なども織り交ぜ語ってほしいとのリクエストを頂いたので・・・・私のプログなんか読んでくださる人なんかいないと思っていたのですが、1人の人でも見ていただけたなんてビックリ感激でした。私は生まれは、九州大分県の佐伯市の田舎です。父が金属鉱山の事務関係の仕事をしていたので九州だけでも5才まで7回も引越しをして、友達ができて馴染むとすぐ引越しという状態でした。でも新しい環境や変化に富んだ経験ができるチャンスと感じていたので面白がっていたようです。今のような?(これ冗談だけど)上品な良い子だったか?大違いの悪ガキでした。鼻たれ男の子連中2〜3人引き連れて、鉱山のボタ山でトロッコ遊びをして、汚れたら川に飛び込んで、その後木登りをして濡れた体を乾かして、暗くなるまで遊ぶ生活で自然の中でのびのびさせてもらいました。その頃、デパートで売っているようなキレイなおもちゃで遊んだ記憶がありません。そしてらくがき大好きでよく近所のおばさんから「チコちゃん、また私の家の中を土足で通り抜けていったわよ!」と母に苦情がきたそうです。それは片手にクレヨンを持ってよその家の壁に線を引きながら裏から入って玄関を通り抜けて行ったからです。でも私は家の中を飾り付けて楽しくする手伝いをしている茶目っけな感覚でした。だから塗るクレヨンの色使いに気を使った覚えがあるんです。ある家は紫とピンク、別の家は緑と青で波形を作るとか・・・でも感覚って人によって皆違うんだと、ナント父母から叱られて知りました。にもかかわらずご迷惑かけっ放しの私を周囲の人がとっても良い人達だったので助けられてよく可愛がって、おやつをくれたり抱っこしてくれたり、けっこう人気者でした。それからこんな田舎っぺがいきなり引越しで東京に出てきて、次に埼玉県で、茨城県、そして今の岐阜県へと住むようになったのです。行くところ行くところで様々なエピソードを作り、周りの人達をハラハラさせたり、笑わせたり、時には元気づけたりと、「大きなご迷惑」と「小さなお役に立った経験」がいっぱいです。また少しずつお話します。聞いてください。