宝塚のブス25箇条の連載です。3月18日の朝礼での話です。
10番目 声が小さくてイジケている。
「イジケる」とは、ひねくれて臆病になる。伸びやかでなくなる。
人との間で“引け目”を感じてしまう。それだけでなくて、どうせ私なんか・・・と・・努力をしないで言い訳を探すのですね。
“自分は、自分”という世界をまだ確立できていないのです。
「完璧でない」という思いは、ほかの人との比較から生まれる。ただの「幻想」
例えば、この瞬間に世界の人の目が糸のように細くなったり、一個になったりしたら、あなたは、自分が 目が二つで、パッチリしていて、いることを嘆く事になるでしょう。歯科の世界でも正中離開(前歯が開いて隙間ができていること。いわゆる隙っ歯)これは、間抜けみたいと嫌われるのですが、アフリカでは、美人と知性のシンボルなのです。ですから人は、環境によって「完璧」という評価が変わってくるのです。それに流されて反応してしまう。これが普通の人なのです。目立つこと、浮くことをそれ自体が悪いことではなくても「恥ずかしいよ、止めてよ」と咎めようとします。これもまた普通の反応なのです。
しかし、今置かれている環境も、あなたが劣っているからイヤ、変わっているからダメだと思っているところも「個性」であるという見方を持って欲しいのです。それを自覚して欲しいのです。勿論悪いと知っていて改めないこと、これは「個性」などと言って許されるものではないので、しっかり改めていただかねばなりません。
さて「完璧でない」という欠点は欠点なのか?という点です。「五体不満足」の本を出された、乙武洋匡(おとたけ ひろただ)さん(先天性四肢切断 早稲田卒業、小学校教諭、小説家)が産まれた時のこと、母親は、1ヶ月以上子供に合わせてもらえなかったそうです。それは、大きなショックを彼女が受け、自殺してしまうかもしれない。など周囲の不安も大きかった事も予想されるでしょう。子供を受け渡す日となりました。病室に母親が入りその反応を見る周囲は、「正直 怖かった」とのことです。
その際、我が子を見たとき母親は、何と言ったのでしょう?
「まー 可愛い」と大きな声をかけてやったそうです。
「完璧でない」という欠点は欠点なのでしょうか?いいえ、欠点ではないのです。むしろ欠点、それを無駄にしなければ、欠点は私たちを美しくさせてくれるための「欠かせない点」なのです!
では、もしチームにイヤな奴がいる? そう思った瞬間 その人を吐き出すよりも、チームなのですから自分を美しく、人格を磨き、生活の質を高めるために 欠かせない点、と理解して 大きく熟成した人となりを築いてまいりましょう。
萩本欽一さんが、言っていましたね。一流のプロとして使ってもらおうと思ったら「技を磨くより、人格を磨け」ってね。
今年のコメットの年のテーマの根底に流れる「仕事を通して生活の質を高めよう」にぴったりですね。
※誕生日に届いたバラです。一生懸命咲いているバラは美しいですね。
「組織は沢山の肢体に支えられている体に例えられます。かえって弱い部分が強い部分を磨くのに貴重な役割をはたすのです」(聖書より)
※明日、明後日は休診日で、ブログも(=´ω`)ノおやすみ致します。
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