今月の19日、昭和の大横綱が亡くなりました。 本名納谷幸喜さんはウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれました。太平洋戦争でソ連が侵攻してきたため、樺太(からふと・サハリン)から最後の引き上げ船に乗りますがお母さんの体調不良で途中下船、その直後に潜水艦の攻撃を受けて船が沈没するという九死に一生を体験しました。 子供時代、あまりの貧しさから大鵬自身が家計を助けるために納豆を売り歩いていた話は有名です。
大鵬とは中国に伝わる伝説の巨鳥のこと。(天を覆う雲のような翼を広げ、荒れ狂う嵐に乗って、南の果ての海すなわち天の池へと向かう。そのときには、九万里(約36万キロ)上空まで飛び上がって舞う。) 幕内優勝32回という最多記録はまだ破られていません。
横綱柏戸と人気を二分する柏鵬時代を築き、テレビの普及に乗って空前の相撲ブームを作りました。 最も注目したいのは現役時代より慈善活動に力を注いだ生涯です。 極貧の辛かった経験、厳しい稽古、数々の苦労を肥やしに「自分だけが幸福では・・・社会の為に貢献したい」という心の発露から、日本赤十字社に昭和44年に血液運搬車「大鵬号」を贈り始めました。平成21年9月に寄贈台数70台目の贈呈を終えたところで活動も終えました。
社会貢献をしたいと考える人は沢山いても、実際に行動できる人はその何分の1でしょうか?
大きく生きた大鵬に拍手を贈りたいと思います。 私事ですが、私の息子の名付け親は羽島市にあるお寺のお坊さんでした。 そのお寺に大鵬が訪れたことがあったことから、そのお坊さんが大鵬にあやかって大朋(たいほう)という名前を付けてくださいました。 現在、息子は岐阜市内でパンのお店をやっていますが、たいほう=大砲=キャノン(英語)=カノン(フランス語)ということからお店を「ベーカリーカノン」という名前にしました。 将来、社会貢献という点でも大鵬にあやかってほしいものと思っています。
※入舟町にある美味しくておしゃれないパン屋さん 「ベーカリーカノン」
「終わりは、初めに勝り、死ぬ日は、生まれる日に勝る」(聖書より)