対人関係でトラブルが生じたとき、私たちは、「どちらが正しいか」で決着をつけようとしてしまいます。 えてして、どちらの主張にも長所、短所があるものですが、その時 たまたま勝っても、一時的に気は晴れますが、負けた側には恨みが残ります・・・それが果たして幸せといえるでしょうか。 人間同士のトラブルは、片方だけの問題によって起こるのではありません。双方ともが勝ち負けにこだわっている場合にのみ起こります。片方に問題があっても、もう片方がその問題に頓着せず、おおらかに譲ることができれば、トラブルとはなりません。
これこそ“譲るが勝ち”ですね・・・大きな人生を送るためには、決着よりも大切なものがあるのです。 自分と他人の考え方がぴたりと一致することはありえません。自分は正しいと思っているのと同様に、相手も正しいと思っているからです。
暑がりの人と寒がりの人が同じ部屋にいて、エアコンの温度を上げるか下げるかを争ってもらちがあきません。暑がりの人が強引に温度を下げたとしたなら、寒がりの人は我慢できません。互いが気持ちよく一緒に過ごすためには、双方が望む中間の温度・・・私たちは無意識のうちに、この「中間点」を探りながら他人と付き合っているのです。なぜ気を遣うのかといえば、調和、平和の為です。自分中心で他人のことなどお構いなしの人ばかりでは、すぐ喧嘩になってしまいます・・・これは子供の世界です。
双方の中間点で、互いに気持ちよく過ごすことができるならば、幸せは半分になったのではなく、むしろ倍に増えているのですね。 他人に譲るということは、「すごすごと引き下がる」というような消極的な意味ではありません。 譲り合えば譲り合うほど、焦る必要がないので双方に余裕が生まれます。“賢者の知恵”ですね。 軍書に「六分の勝ちをもって勝利とせよ」というのがありますが、勝ち過ぎて生まれる大きな恨みは、先々大きな報復という形で返ってきます。平和ではありませんね、四分を譲るという穏やかな勝ち方こそ上策なのですね。
「あなたがたの間に平和があるなら、繁栄が続くのです」(聖書より)
明日は、休診日、ブログも(=´ω`)ノおやすみ致します。